◆◆◆◆ 結成と活動

1、 「戦後補償問題を考える弁護士連絡協議会」(略称「弁連協」)は、1992年12月、@戦後補償問題をどうとらえるべきか、A同問題に関する国際人道法等法律問題の検討・研究及び提言、B同問題をめぐる国連人権小委員会等、国連レベルの動向の把握・情報の交換及び国際NGO等との交信・協力、CA、Bを通じた内外における既に活動を開始している戦後補償を求める個別弁護団並びに将来活動を開始する弁護団に対する支援・協力、並びにこれら弁護団相互の連絡協力関係の促進、を活動目的として呼びかけられ、翌年戦後補償訴訟の全ての弁護団によって結成され(1993年3月12日第1回弁連協会議)、2021年1月現在まで活動を継続してきた。本稿末尾にその訴訟進行状況を含めた弁護団一覧表を付しておく(事務局担当筆者)。
「弁連協」は、基本的な国内活動として、弁護団相互の連絡、判決の報告、法理論研究のための定期的な弁連協会議(2012年9月最終回)をもち、専門意見書を各弁護団の共有のものとし、『事務局通信』(2021年2月現在132号)を発行、1998年以来毎年1回(2021年は第24回)「戦後補償訴訟公開フォーラム」を開催している。

2、 国際活動として、ジュネーブの旧国連人権小委員会(人権促進保護小委員会)における戸塚悦郎弁護士や前田朗造形大教授らを中心とした活動と協力し、『ファン・ボーベン報告書』(1993年)、『クマラスワミ報告書』(1996年)、『マクドゥーガル報告書』(1998年)などへの協力も含め、戦後補償問題に関する国連内国際人道法論議及び世論への働きかけを続けてきた。

3、 1998年6月、ソウルにおいて大韓弁護士協会・ソウル弁護士会の後援を得て、韓国「民主社会のための弁護士の会」と共催シンポジウムを行う。2002年2月、中国華東政法学院国際法学部主催の中国戦後補償訴訟シンポジウムに参加。その他中華全国律師協会と緊密な協力関係を形成している。近時では、2018年10月30日韓国大法院判決について、同年12月、担当の崔鳳泰弁護士とともに、北京で被告三菱マテリアル・強制連行強制労働事件弁護団(団長康健弁護士)と同判決報告会を開催した。2021年1月8日ソウル中央地裁の慰安婦訴訟判決を受けて、2021年1月29日、韓国・日本・中国の弁護士らによる第24回公開フォーラムを開催した。
なお1999年8月、米国において日本国及び日本企業を被告として戦後賠償訴訟が開始されて以来、米国訴訟についても米国弁護団と提携し、日本における証拠開示手続等に関与している。(米国訴訟は、訴訟時効を延長したカリフオルニア州法は連邦の外交権限を侵害していると敗訴が確定、2005年に終結)
2005年4月、北京政法大学において「日本における中国戦後賠償訴訟の国際法の問題」を講演、2007年11月には北京において西松建設事件最高裁判決を批判する日中シンポジウムに参加している。特に中国との連絡・協力関係を重視し、2005年3月より中国語版ホームページを開設し中国語版『事務局通信』を配信している。((中国語版『事務局通信』)

4、 2021年1月8日、日本国が被告となった慰安婦訴訟につき、判決が「主権免除」の国際法原則を排除して原告勝訴 としたことを受けて、東アジアにおいても「被害者の属する国における」戦後賠償訴訟が展開している。同年2月16日には、元慰安婦の李容洙さんは、韓国政府に対し、本件をICJに付託し、公正な判断を得るよう訴えた。

◆◆◆◆ 立法試案

 また、「弁連協」の提言活動の一環として、その内部に組織された「戦後補償立法を準備する弁護士の会」(今村嗣夫座長)が1995年提出した「外国人戦後補償法」(試案)がある。
「外国人戦後補償法」(試案)は、日本政府が訴訟によって請求されるのを待つのではなく、自ら立法によって戦後補償問題を解決するべきと考え、@「第二次世界大戦中に日本政府が行った非人道的国際法違反行為などにより、被害を被った外国人の個人に対し、謝罪の意を表明するため補償金を支給すること」を目的とし、A日本政府の拠出によって基金を設立し、B戦後賠償問題に関与してきたNGOの参加を得て各国に支部を置き、その協力を得て調査活動等を進めつつ、C被害の重大性や救済の緊急性等を勘案して被害類型により補償金を順次支給する事を要綱としている。
 同試案は弁連協参加の全ての弁護団から支持されており、「慰安婦」立法案や強制連行・強制労働「補償基金」立法案の基礎となっている。今村嗣夫・鈴木五十三・高木喜孝編著『戦後補償法―その思想と立法―』(明石書店、1999年)参照。
 こうした立法運動は、民主・社民・共産三党統一の「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」の提出という段階を通り、2009年8月の民主党大勝・政権交代に当たり基本状況の転換による本格的な立法が待ち望まれたが、民主党政権の混迷と自民党政権の復活(2012年)の下、立法解決の途は頓挫し、前途なお多難である。
 2018年10月30日韓国大法院判決を巡って、同弁護団の提起する韓日両国政府及び両国企業による和解と包摂的解決に期待している。 2021年1月8日の慰安婦訴訟勝訴判決により、より大きな国民的規模の和解による解決が一層切実に望まれる。

◆◆◆◆ 到達した地平一平和条約の見直しが課題、戦後賠償訴訟は前人未到の領域へ

1、弁連協の活動は、@国内においては、日本各地の訴訟及びその弁護団の奮闘を基礎にこれらを孤立させることなく、法律問題の討論を広く起こし、専門意見書の共有や弁護活動のオープンな交流を確保し、この長期にわたる戦後賠償訴訟を粘り強く維持させることに役立ってきたと自負している。
 また個々の企業との和解の成立の事例や「アジア女性基金」の事例を超えて、日本政府が被害者個人に対し責任を明確にする根本の上に、戦後補償問題を解決するべきであるとの基本方向を堅持することにも、大いに貢献しているというべきである(「アジア女性基金」は、2007年に解散)。2015年「慰安婦問題日韓政府間合意」のあいまいな合意も解決には至らない。
 またA海外においても、前述のように国連や国際赤十字内の世論において、国際人道法に基づく個人の請求権を承認する趨勢は、日本における戦後賠償訴訟が発信するメッセージにより大きく強く力づけられている。  2005年12月16日、国連総会は「国際人権法及び国際人道法に関する重大な違反の被害者が救済及び賠償を受ける権利に関する基本原則とガイドライン」(Basic Principles and Guidelines on the Right to a Remedy and Reparation for Victims of Gross Violations of International Human Rights Law and Serious Violations of International Humanitarian Law)を採択し、被害者の個人請求権が明確にされた。

2、 他方、確かに日本戦後補償訴訟において勝訴の例は数少ない。「慰安婦」訴訟で勝訴した所謂「下関判決」(1998年4月27日)も控訴審で敗訴し、しかも最高裁は上告を受理しなかった(2003年3月25日)のが実情である。
 しかし、従来戦後賠償訴訟において厚く重い障壁となってきた除斥期間、「国家無答責」及び「安全は配慮義務」の成否について原告の主張を容認する判決が相次いで出された。福岡中国人強制連行強制労働事件福岡地裁判決(2002年4月26日、除斥期間適用除外)、西松建設中国人強制連行強制労働事件広島高裁判決(2004年7月9日、安全配慮義務を認め、消滅時効を権利濫用で退けた)及び新潟リンコ・中国人強制連行強制労働事件新潟地裁判決(2004年3月26日、被告国には国家無答責を排除、また、被告国・被告新潟リンコに対し共に安全配慮義務を認め、消滅時効を退ける)などがそれである。
 こうした動きに対し、最高裁は2007年4月27日西松建設事件について「日中共同声明によって中国国民の請明とサンフランシスコ平和条約の請求権放棄条項が戦後賠償訴訟の壁となったのである。この事実は、戦後賠償訴訟が正に平和条約の形をとる冷戦構造を突破しようとするものであり、平和条約の見直しを迫るものであったことを示している。第二次世界大戦争後の平和条約は国際人道法侵犯行為等の被害者の救済を黙殺することで、冷戦体制を形成していた。

3、現に、被害者の属する国、即ちギリシャ及びイタリアではドイツを被告とする村民虐殺など国際人道法違反の被害者らによる訴訟において、@「外国主権免除」の排除、A請求権放棄条約が存在しているにも関わらず原告勝訴の判決がでている。(チビテッラ村事件2008年10月21日イタリア破棄院判決)
 また、韓国憲法裁判所は(2011年8月30日)日韓請求権協定の解釈に関し韓国政府と日本政府の間に相異がある場合日本政府と交渉すべきでありそれをしない不作為は憲法違反と判決した。さらに、2012年5月24日、韓国最高裁は強制徴用事件に関し、日韓請求権協定で請求権は放棄されておらず、仮りに放棄されたとしても、韓国の外交保護権の放棄にすぎず、韓国の裁判所においては請求権は認容できると判決した。この判決を受けて、加害企業を被告とする韓国訴訟の提起が続き、韓国内において、この問題の政治的解決の動きも急となっている。2018年10月30日、韓国大法院が原告勝訴の判決を出し、確定した。この判決は日本の朝鮮半島植民地化そのものが不法で、強制徴用のような非人道的な不法行為による賠償請求は討議の対象ではなかった、とするものである。「戦争と平和条約における国民の請求権に関する取り決め」とは別個な「旧植民地独立と戦争動員時の非人道的な行為の責任問題」で、前人未到の国際人道法・人道慣習法の領域に踏み込んだことになる。さらに2021年1月8日、ソウル中央地方裁判所は、被告日本国の慰安婦訴訟に関して、「主権免除」の原則を排除し、原告勝訴、被告日本国敗訴の判決を下した。国際人道法違反、それも強行法規違反の侵犯に関しては「主権免除」の国際法は排除するとの判示で、欧州の上記イタリアの判決に並ぶ画期的な内容となった。
 なお、前記西松建設事件最高裁判決は加害企業等が自主的解決に努力するよう付言しており、2009年には西松建設が和解に動き出し、2009年10月23日広島・安野事件につき、2010年4月26日信濃川事件につき、相次ぎ和解が成立した。さらに加害企業の和解の動きは、三菱マテリアルとの間で浮上している。
 さらに中国人民法院は中国人原告の提訴を2000年以来受理せず、2010年9月の山車省高級人民法院への提訴等もなお受理しないが、中国の世論はようやく民間人の戦後賠償問題に関心を向けつつある。2014年3月、北京第1中級人民法院は、初めて提訴を受理した。しかし、同事件の審理は2021年1月に至っても進行しない。

4、 日本における戦後賠償訴訟は、東アジアにおいても、国際人道法を重大侵犯した国家は戦勝国・戦敗国を問わず、被害者に対し、個人賠償をする責任があるという道義と国際法を共有しようとする綿々とした努力を示してきた。日本訴訟は第二次世界大戦と冷戦体制をのりこえて、国際人道法の下に東アジア共同体を建設する礎石の一つを置いたと自負している。

(2021年5月6日更新)